
イタリア D.O.C.法の意義
2005年 9月
日本では法律で農作物を管理しているものは少ないですが、イタリアではワインをはじめ様々な食材が国の法律によって管理されています。法律による管理というと堅苦しくおもえますが、消費者に対しての品質の保証、そして優良な生産者の地位を守るために存在します。ワインに関してはDOC法と言います。これはどのような背景で生まれ、どのようなものなのでしょうか。イタリアでは昔から著名なワインがあります。ソアーヴェ、キアンティ、特にバローロはイタリアワインの王と呼ばれ、世界中に名前が知れ渡っていました。ですが実際これらのワインの定義はどのようなものだったのでしょうか。ワインの名前は地名が多いので産地はわかりますが、品種は?熟成期間は?品質は?。伝統などである程度決まっていましたが、各々の生産者が勝手な解釈で造るワインが増えたので特徴の統一性がなくなりました。また不誠実な生産者は低品質なワインまでバローロと名前をつけ、高く売っていたため消費者からの信用も落ち、国が管理をしなければ混乱するばかりでした。そこでイタリアは元々フランスにあるワイン法AOCを参考に1963年DOC法を制定しました。これは原産地呼称法と呼ばれ、その産地の名前を使うには様々な条件を満たしていなければ使えず、テーブルワインとしてしか販売できない制度です。そしてより厳しい審査に通ったDOCは更に上位のDOCGに格上げされるというものでした。そうして生産者はどのように造るかの目安、目標が出来、消費者は安心してワインを選ぶことが出来るようになりました。その後しばらくワインの品質向上に大きく役立ちましたが、新しい流れが出てきました。スーパータスカンです。法律にとらわれることの無く自由に自分達のワインが造りたい、というものでした。これにより法律的には認められず、カテゴリーはテーブルワインという高級ワインが造られ始めました。しだいに伝統に根ざして制定されていたはずの法律は、こうした「なんでもあり」のワインに対しても制定されるようになります。有名なものが初めてのスーパータスカン、サッシカイアDOCです。特にここ最近DOC,DOCG共に増加しています。そしてDOCGになるための定義もあいまいで、不思議なことに一生産者しか造っていないものも存在し、品質のあまり高く無いアルバーナ ディ ロマーニャが初めての白ワインDOCGに選ばれたときは物議をかもしました。最近選ばれたバルドリーノ スペリオーレにこだわったワインなど聞きませんし、ヴェルナッチャ ディ セッラペトローナに至ってはその名前さえほとんど知られていません。今ではこの法律を無意味だと言う人さえ出ています。確かに一部納得できないものもありますがDOC法は年々ニーズに合わせ少しずつ改定を行い、全体的な品質の維持・向上から見ても必要不可欠であると思います。
イタリア スーパータスカン
2005年 5月
イタリアワイン全体の品質向上の立役者ともなったスーパータスカンを今回は見て行きたいと思います。スーパータスカンの定義とはどのようなものなのでしょうか?まだこの言葉が生まれた当時は、「テーブル ワインのカテゴリーでトスカーナ州で造られた高品質なワイン」というものでした。それはD.O.C.名でなく、ワインのブランド名でのみ消費者に訴えるものでした。これはトスカーナの有名なD.O.C.G.ブルネッロ ディ モンタルチーノでは生産地域が限定され、キアンティではあまりにも消費者から安く見られていたため、いくら高品質なワインを造っても認めてもらえないというジレンマがあったからです。アンティノーリの協力の下カベルネ ソーヴィニョンを使い、その歴史的サッシカイアが生まれたのは1968年で今から約40年も前になります。今でもそうですが、それまでトスカーナで栽培されていたブドウの主力品種はサンジョヴェーゼで、当時外国品種を使うなど考えられないことでした。地元品種ではなく、あえて有名な国際的な品種を使ったことは世界市場への進出も視野に入れてのことでした。その後ティニャネッロやオルネッライアが生まれ、メルローやシラーを使ったワイン、そしてサンジョヴェーゼを使い、造り方はキアンティと同じにも拘らずあえて法律上ではランクを落としてリリースされるワインもたくさん造られました。他には無いそこだけのワイン、としてスーパータスカンはワイナリーの個性を表現できたからです。今ではサッシカイアや様々なワインもD.O.C.になり、始めのころの定義とは少し変わってきています。ですが今でも当時と変わらないのは、法律上の設定にあまり重きを置かず、そのワインの持っている名声や評判などのブランド力で市場に出ていると言うことでしょう。この中には有名なワインガイドなどで高得点を取った結果、プレミアがつき市場価格が一気に跳ね上がるものもあります。一夜にして一流ワインの仲間入りをすることからシンデレラワイン、とも呼ばれます。この流れは他の州にも広がり、スーパーピエモンテ、ウンブリアなどのイタリア全土のワイン造りにも活気を与えています。
ニューワールド
2006年 10月
古くからのワイン生産地であるヨーロッパをオールドワールド(旧世界)、それ以外の生産地としてはまだ若い地域を総じてニューワールド(新世界)と呼びます。新世界では知名度が高く、土地に対する適応能力の高いシャルドネやカベルネなどのフランス産の品種が多く使われ、これらの品種は新世界で栽培されるようになってから国際品種として位置づけられるようになりました。日本や中国などアジアでもワインの生産をしていますが、ヨーロッパと同様、地中海性気候の地域で作られることが多く、最も注目されている新世界としてアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、そしてチリが挙げられます。一般的に新世界では果実味が強く、濃厚なワインに仕上がる傾向があります。新世界も旧世界と同様、これまでに苦労や努力を伴ってワイン産業を開拓してきました。例えばカリフォルニアでは最近までワイン産業がそれほど発展していませんでした。ナパ バレーではフィロキセラや禁酒法の影響もあり、19世紀後半に140以上あった生産者が1960年には25に激減しました。そうした背景から新しい個人生産者は資金が乏しく自宅裏などの狭い場所で少量を生産していたため、ガレージワイナリーと呼ばれていました。現在ではブティックワイナリーとも呼ばれています。こうした動きから新進気鋭の小さなワイナリーがいくつも出来、量より質を求め、シンデレラワインのように知名度・品質ともに急成長するワイナリーができました。旧世界の雄たるフランスの数多くのワイナリーや消費者は、「アメリカワインは洗練さに欠けテロワールが無い」と蔑んでいました。ブルゴーニュの大手メーカー、ジョゼフ ドルーアンもその一つでしたが、アメリカワインがコンクールで優勝すると、他のワイン愛好家と同じく驚きと羨望の眼差しを送り、考えを改めこの地での可能性に着目しワインを造っています。新世界では伝統的な旧世界と比べワイン法の整備がなされていないため、栽培するブドウ品種や醸造方法の選択は全てワイナリーに委ねられます。今も手探りを繰り返しながら、新しいワインが次々と生み出されています。この考え方は旧世界であるイタリアにも持ち込まれ、スーパータスカンなど伝統に縛られない自由なワインが造られるようになりました。
日本のワイン
2006年 11月
日本では昔からブドウ栽培が行われていましたがそれはヨーロッパと違い、生食用としての物でした。日本でのワイン造りの歴史はまだ浅く、明治時代からはじまり、政府は殖産興業の一環としてワイン醸造振興を行いました。また当時は米不足であったことから、日本酒に代わり葡萄酒が少しでも消費されることが望まれたのです。ヨーロッパやアメリカからブドウの苗木を輸入し、山梨県をはじめ各地でブドウ栽培とワイン醸造を奨励しました。こうして明治10年に国産最初のワイン会社「大日本山梨葡萄酒会社」が設立されました。この会社は日本で初めてフランスへワイン醸造のための留学生を送り出すなど、本格的なワイン生産を目指しましたが、国内の需要が低いことと、そして品質の高いワインが造れなかったため解散します。導入したヨーロッパ品種は本来降水量の少ない地域で改良されたもので、日本の肥沃な土壌と高温多湿の環境では栽培が困難でした。またフィロキセラの大被害をこうむり、克服したもののワイン産業は衰退していきます。その後日本の風土に適したぶどうの品種改良を進め、マスカット ベリーA、巨峰を生み出し、ワイン産業は少しずつ復興していきます。しかし本格的なワインは当時の食生活に受け入れられず、日本人の好みに合わせ糖分を加えた甘味葡萄酒が造られていました。甘めのドイツワインが日本で多く消費されていたのも、この当時のワイン文化の影響があります。日本産の本格的なワインが認められだしたのは戦後になってからです。日本はワインに対しての意識が低かったため表示に関しての法律が甘く、長く問題が指摘されていました。それは国内では生産地、生産量共に小さなワイナリーが多いため、生産者によっては外国で造られたワインやモスト(ブドウジュース)を輸入し、日本で混ぜて国産ワインとして表示し、販売している現状があるからです。ワインの生産地の主なところは山梨、長野、山形、北海道などがありますが、日本全国各地で様々な地ワインが造られています。近年国際的競争力をつけるためにシャトー メルシャンをはじめ、多くのワイナリーが再びフランス系のカベルネやシャルドネなどの品種、そして日本の古くからの地元品種である甲州種を使い世界に品質をアピールできるワインを造り出しています。