Napoli ナポリ
ナポリ県 人口1,069,000人
ナポリといえば頭に何が思い浮かぶでしょう。まぶしい太陽、かがやく海岸、陽気な歌声、おいしいピッツァなど、ナポリは私たちを魅了するたくさんのものを持っています。ヴェスーヴィオ火山のすそに広がるナポリ湾は、ポジッリオ岬やカプリ島を含む沖合いの島々とソッレント半島に囲まれ、世界で最も美しい場所の一つです。ナポリの歴史は古く紀元前7世紀にまでさかのぼり、当時美しい環境と温暖な気候に魅かれた古代ローマ人がここに新たな都市を作ったことから始まります。ナポリの語源はこの新都市(Neapolis)から由来しています。その後ローマ帝国の支配下の下、歴代皇帝の避暑地として気に入られていました。しかし、その後ローマ帝国が衰退、滅亡にするにつれ北方の他民族から侵略を受け様々な民族に支配されました。ナポリは主に東西交易のための海港都市として経済基盤を発展させ、6〜7世紀には地中海隋一の要地に成長します。8〜11世紀にはナポリ公国の首都と定められ落ち着きを取り戻しましたが、12世紀になると再びフランス、ドイツ、スペインなどによる支配が続きました。こうしてナポリは様々な民族の文化を吸収したため、ナポリ市街地にはギリシア時代の遺跡やローマ時代の遺跡、またはスペイン風の居住区やフランス風の城などの様々な様式が混在しています。
ナポリは建物や都市としての歴史だけではなく、絵画やオペラなどの美術や食文化の歴史も深く今日でもその魅力は衰えていません。ピッツァやパスタを広め、太陽の恵みをたくさん浴びたトマトソースもこの地で作られました。スパゲッティ アッラ プッタネスカは豪快なイタリア人らしさを表現したナポリ料理の代表です。イタリアには存在しませんが、日本に昔からあるスパゲッティ
ナポリタンはこの食文化の魅力に惹かれて作られたのかもしれません。またよく映画の舞台に使われていたことから、日本人の持っていたイタリアのイメージはこよこナポリから来ているところも多いと思えます。ですが残念ながらこの都市もすべてが素晴らしく親しみやすいわけではなく、貧富の差から起こる問題やスリを含めた犯罪率の高さが目立ちます。イタリア人の中でもナポリの建築の美しさや素晴らしさは認めていても、交通状態や町の汚さにはうんざりさせられると言います。ですがコメディアンはナポリ出身が多く、「フニクリ
フニクラ」や「オーソーレ ミオ」などを初めとした多くのカンツォーネを生み、陽気で楽しいナポリ人のイメージを持っています。そして「ナポリを見て死ね」という言葉があるように、これだけは生きている間に見てほしいという願いから生まれた言葉なのではないかと思います。
Pompei ポンペイ
ナポリ県 人口25,000人
ポンペイはナポリから近くに位置し、電車ですぐに行ける観光都市です。紀元79年にヴェスーヴィオ火山によって埋没したポンペイはかつて栄華を極めた都で、今でも残っている遺跡に毎年多くの観光客が訪れます。歴史は古く紀元前8世紀にオスク人によって建設され、紀元前6世紀にギリシアよりヘレニズム文化の大きな影響を受けました。その後サムニウム人の都市となり紀元前1世紀まで繁栄期を送ります。なかでも都市建築と芸術活動は素晴らしいものでした。紀元前80年にポンペイがローマ帝国の支配下に入ると裕福な貴族たちは好んでこの地に滞在することになり、ローマの言語や習慣、そして建築や装飾が定着していきました。火山の噴火直前には、2万5千人を有する豊かな町となっていました。肥沃な地方の中央に位置することから商業や小工業が栄え、海に通じる港もありました。演劇や競技、政治討論なども好まれていたことから文化的にも裕福であったことがうかがえます。その後火山の大爆発によって二日間でポンペイは灰に埋まってします。次第に存在自体を忘れ去られ、歴史の舞台から姿を消します。18世紀になりようやくフランスのブルボン家によって発掘され、それまで謎に包まれていた都市の発掘はヨーロッパ中に大きな反響を呼びました。今でもそのスケールの大きさや当時の生活様式を感じさせる数々の種類の遺跡と取り巻く風景の美しさによって、見る者にローマ帝国時代の都市の壮大で感動的な姿を思い起こさせてくれます。
Capri カプリ
ナポリ県 人口7,100人
カプリはナポリ湾に浮かぶ風光明媚な島の一つで、古代ローマ皇帝たちに愛された別荘地でした。カプリの名前は古代ギリシア人が海から見た島の形をCapros(イノシシの意)と名づけたことに由来します。もともとはテレボアイ人が住んでいた島でしたが、古代ローマ帝国の領土となります。紀元前27年、初代ローマ帝国皇帝アウグストゥスは、この島で枯れたカシの木が蘇るという縁起のいい出来事に遭遇したと言い、その美しさに魅了され自分の所有していたイスキア島とこの島を交換し、「甘美な快楽の地」と呼びました。その後を継いだティベリウス帝はローマ社会の権謀の日々に疲れ、67才の時ここに隠棲しながら政務を行いました。島内に12の別荘を持っていたとされ、狼煙を使いローマと交信をし古代ローマ帝国全土を統治していました。その後カプリはローマ貴族のリゾート地として繁栄し、近代に入ると島の自然美に魅せられた数多くのヨーロッパの芸術家や作家が訪れました。イギリスの作家ディケンズは「この細道のような、これほどに光に満ち溢れる場所は世界にも他にはない」と絶賛しています。特産物はレモンで、別名「レモン島」とも言われるほどです。いたるところで特産品であるリモンチェッロやレモンチョコレートなどの土産品が販売されています。島の見所はアナカプリからリフトに乗っていくソラーロ山からの眺望と青の洞窟です。青の洞窟は太陽が海底の白砂に反射して洞窟内の海面をブルーに染める美しく神秘的な場所です。世界中からたくさんの人が訪れ、カプリは第一級の国際観光地です。
Ischia イスキア
ナポリ県 人口46,000人
イスキアはナポリ湾の沖に浮かぶ小島で紀元前7世紀にギリシア人たちがイタリア半島の西側に作った最初の植民地で、ここを拠点にナポリへと拡大していきました。当時からブドウの栽培も盛んだったといいます。歴史ある土地で、イスキアの博物館には紀元前1300年代につくられたネストレの杯というものが残っています。ネストレとはホメロスの叙事詩イリアスに出てくる有名な人物です。イギリスの哲学者ジョージ・ベントリーが1717年にイスキアを旅した時、友人への手紙に「イスキアは全世界を要約したような場所である」と書き記しました。ここには穏やかな丘陵地帯、美しい平野部、山々、そして浜辺、海、温泉、すべてがあるというわけです。さらに近年になってからも、特徴ある凝灰岩に映える木々の豊かな緑や、若さ・美しさ・健康を象徴する温泉があり、冬でも太陽の光があふれる所としてさまざまな面で評価されています。普段からヨーロッパ各地から来る温泉保養の人でにぎやかですが、夏ともなればナポリの人たちが海水浴をする場所として人気があります。特産工芸品として、麦わらを編んでつくったかご、そしてマヨルカ陶器が挙げられます。海に囲まれていることからイスキアを代表する料理に魚介類のスープやフライといった魚料理がありますが、猟師風のウサギ料理も有名です。これはイスキアには野ウサギが多くいるためで、朝から猟に出かける人も多いです。この島は豊かな草木に覆われているので、別名「緑の島」とも呼ばれています。