プーリアの州旗

プーリア
Puglia

州都 バーリ  人口 4,000,000人

「イタリアの都市」へ

Bari バーリ

バーリ県 人口343,000人

バーリの街   バーリはプーリアの州都になり農業や産業の中心となりますが、都市活動の主要部分を港に依存しイタリアとクロアチア及びギリシアと結ぶ交通の要になります。古くはイリュイア人が起こした町でしたが、その後ペウケーシという先住民族に変わりギリシア人との交易を通してその文化を取り入れ栄えました。9世紀から11世紀にかけてはビザンチンの支配下であり、1071年この地を支配したノルマン人によって経済と海運業で発展を遂げ、中世には大変栄えた町となりました。その後アドリア海南部の中心都市となり、その繁栄はバーリの守護聖人、聖ニコーラの聖地への巡礼と、オリエントへ向かう十字軍の出発港であったことからも伺えます。ですがその後16世紀のスペイン支配が始まると共にバーリは徐々に衰退を始めます。今の町並みは19世紀になり建設されたもので、整然と碁盤上に交わる大通りを持つ新市街と、それまでにあった旧市街とで構成されています。駅から北へ1キロ程のヴィットリーオ エマヌエーレ通りを境に、海に突き出ている狭い半島部に押し合う形で広がるのが旧市街で、サン ニコーラ教会や城などの重要建築物が集まっています。残念ながら旧市街は治安が良いとは言えないので、気軽に立ち寄らないほうがよいでしょう。駅があるのは新市街になり、駅前広場にはレモンや椰子などの亜熱帯植物が茂り、中央に大きな噴水があり、いかにも南国的な雰囲気をかもし出しています。

Alberobello アルベロベッロ

バーリ県 人口10,900人

アルベロベッロのトゥルッリ   アルベロベッロとは美しい(ベッロ)木(アルベロ)を意味し、この土地独特の建物である、トゥルッリを見た様子から来ています。プーリアと言えばこの白い円錐形のとんがり屋根の建物が思い出されますが、建てられたのはそれほど古い時代体はなく15世紀頃からなにあり、当時はまだ40軒ほどしかありませんでした。このユニークな建築の大集落の誕生は、スペイン統治のナポリ王国に支配された南イタリアの農民の歴史と関わっています。領主は勝手に小作人たちが領内に家を建てることを禁じ、壁を漆喰で固めることを許していませんでした。そこで農民達は厳しい生活環境の中で知恵を絞り、足下を掘ればすぐに手に入る石灰岩を使い、見回りがあるとすぐに家を取り壊せるように空積みの工法を用い独自の建築様式を発展させたのです。やがて一定の税金の支払いを条件に、この小屋の建築が認められるようになりました。トゥルッリの壁は板状の石を積み上げるためもっとも厚い部分では1メートルほどにもなり、屋根には家紋のような文様が入っています。外気の影響を受けることが少なく、夏は涼しく冬は暖かく過ごしやすくなっています。18世紀に入ると、当時南イタリアを支配していたブルボン家のフェルナンド4世がこの町を視察した折、一目見るやトゥルッリを大変気に入り、この町を自分の直轄領とした上で「以後は、この形の家のみを建てるように」との命令を出しました。現在は約1000軒残っており、住民の持ち家率は99%に上るようです。ですが40%は空き家の状態になっており、近年ではこの石積みができる職人が少なくなったため、崩れかかったまま放置されているトゥルッリもよく見かけます。